聲明交響 (1995)

基本
作品名(英) Shōmyō Kōkyō
作品名(独) Shōmyō Kōkyō
作品記号 105
作品年 1995
ジャンル オーケストラ/協奏
演奏時間  
楽器 Shomyo, Ryu, Orch
楽譜・譜面

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曲目解説

「東大寺要録」に、天平勝宝四年(752)の大仏開眼の供養会で、大規模に聲明が唱えられ、雅楽が奏でられ舞楽が舞われた、と記されている。ここでは、その頃すでに日本に定着していた聲明を、当時の最新の<外来音楽>であった雅楽の響きと舞い―舞楽―が荘厳(しょうごん)したのである。これはまさしく聲明と雅楽の出会いであり、新旧二つの異なる媒体―声と器楽(舞)―の華やかな響宴であった。

千数百年前のこの故事に遥かな想いを寄せながら着想した「聲明交響Ⅰ」では、永く伝承されてきた聲明の法会―礼讃(らいさん)、笏念佛(しゃくねんぶつ)など―が、雅楽にかわり現代のオーケストラによって荘厳される。そしてこの作品では、京都知恩院に蔵する「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」からインスパイアされた響き、雅楽の伝統に深く根差しながらも現代に息吹く芝祐靖氏の龍笛、笙、さらに編鐘などの打楽器の響きが、聲明とオーケストラの<媒介>として重要な役目を担う。これは、宗教的な荘厳の音世界の中で、芸術的な<東西両音楽の合一>を図ろうとしたものである。

この作品は「'95国際永久平和祈念祭典/大阪」の委嘱作として、1995年7月4日大阪フェスティバル・ホールで初演された。出演は、聲明:浄土宗中村康隆猊下(導師)以下40名の僧侶、龍笛独奏:芝祐靖、笙:浄土宗笙演奏家(5名)、作曲者指揮の関西フィルハーモニー管弦楽団。

最後になりましたが、宗教と芸術、伝統と現代という困難な内容をもつ大規模な作品の実現に対して、多大な熱意と実行力をお示しくださった竹内日祥御上人に深い謝意を表すとともに、世界の恒久的な平和を祈念いたします。

石井眞木、1992年。源:CDより

 

この作品は二つの部分から成っている。第Ⅰ部はオーケストラのみの演奏で「曙光」、第Ⅱ部は、龍笛、笙、そして浄土宗僧侶の聲明とオーケストラによる「一切共生(いっさいきょうじょう)」と題した(第Ⅰ部と第Ⅱ部は連続して演奏される)。

第Ⅰ部の「曙光」は、私自身の戦中、戦後の体験が密かに反映した内容をもっている。私は第二次世界大戦では、9歳の時東京で戦災に遭い猛火の中を逃げ惑った体験をもっており、留学中の1961年には、「ベルリンの壁」が突如として出現し、「冷戦」が一触即発の熱い危機に陥ったのを目のあたりにした。このような危うい体験や、逆に、戦後の奇跡の復興、高度成長、あるいはベルリンの壁の崩壊に象徴される<雪解け>などは私たちが体験した具体的な事象であるが、この50年の時の経過は、人々の精神にとって、これまでになかったようなさまざまな変容を迫るものであった。このことは、私の音楽創造の上にも確かに反映している。その一つに<相い対するもの>を認識し理解し,共生を図るということがある。音楽的に言いかえれば、西洋と東洋の音楽に対する価値観の変化であり、両者の音楽的な<差異>の認識から、新しい音楽世界を創造するという姿勢である。ここから<二つの音世界からの創造>という、私の音楽的な命題が自然に生まれてくる。これは、「曙光」を求める過去から未来への祈りでもある。

第Ⅱ部は、第Ⅰ部の精神的な延長線上にあり、浄土宗の聲明による祈念が中心となる。曾て、天平勝宝四年(752)、東大寺の大仏開眼の供養会で大規模な聲明が唱えられ、雅楽が奏され舞楽が舞われた、と「東大寺要録」に記述されている。ここでは、すでに日本に定着していた奈良仏教の聲明を、当時の最新の<外来音楽>であった雅楽の響きと舞いが荘厳(しょうごん)したのである。音楽的観点からいえば、これはまさしく、<伝統と現代>であった。

新たな伝統と現代、東西の響きが交響する作品─「聲明交響」では、千数百年前のこの故事に遥かな想いを寄せながら、浄土宗の聲明を西洋型の現代オーケストラの響きで荘厳し、さらに芸術的な意味を含ませることを祈願しつつ筆をすすめた。そして、芝祐靖氏の雅楽の伝統に深く根差しながらも現代風な龍笛と笙の響きは、音響的に両者を媒介すると同時に、知恩院に蔵する「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」からインスパイアされた響きを象徴する。

石井眞木、1992年