石井眞木ー年譜(音楽歴)
[作成:1992年6月(敬称略)]
年月 | 出来事 |
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1936年5月 | 日本の近代舞踊の草分け石井漠(1886-1962)の3男として東京に生まれる(28日)。 |
1942年1月 | 小林宗作(ともえ幼稚園長)にリトミックを学ぶ。 |
1943年3月 | 3週間にわたり初の海外旅行(朝鮮、満州、蒙古)を行う(石井漠舞踊団と共に)。 |
1943年10月 | 「雅楽(舞楽)」初体験(宮内庁楽部にて)。 |
1947年5月 | 那須楠緒子にヴァイオリンを学ぶ。 |
1949年5月 | 鰐測賢舟にヴァイオリンを学ぶ。 |
1950年4月 | 第2学年より国立音楽大学付属中学校(ヴァイオリン科)に編入。 |
1952年4月 | 国立音楽大学付属高等学校(ピアノ科)に入学。ピアノを仙波八重子に、学外で、池内友次郎/外崎幹二に和声学・対位法を学ぶ。 |
1953年10月 | 学外で、L. コハンスキーにピアノを学ぶ。 |
1954年5月 | 学外で、渡辺暁雄に指揮法を学ぶ。 |
1955年3月 | 国立音楽大学付属高等学校卒業。 |
1955年5月 | 伊福部昭に自由作曲を学ぶ。 |
1958年7月~1960年12月 | ベルリン(西)に留学。 |
1958年9月 | ベルリン音楽大学(作曲科)に入学。自由作曲をB. プラッハー、12音技法を J. ルーファ一、対位法をE. ペピング、和声法をH. F. ハルテイッヒに学ぶ。 |
1959年8月 | 奨学金を得て西ドイツの「ダルムシュタット国際現代音楽夏期講座」に参加。 |
1960年2月 | 「日独修好百年記念コンサート」で自作が初めてベルリンで演奏される(《小オーケストラのための7章》op. 2/指揮:小澤征爾/ベルリン・フィル室内合奏団)。 |
1960年7月 | バイロイトでワーグナーの《タンホイザ一》、《オランダ人》、《ニーベルングの指輪》全曲を初めて聴く。 |
1960年8月 | 「ダルムシュタツト国際現代音楽夏期講座」に参加。 |
1961年8月 | バイロイトの「国際ユーゲント・フェストシュピール・トレッフェン」に参加(《4つのバガテレン》op. 3の演奏/ヴァイオリン:浦川宜也/ピアノ:石井眞木)。 |
1961年9月 | 「ダルムシュタット国際現代音楽夏期講座」に参加。 |
1961年9月 | 《9奏者のための前奏と変奏》op. 1が同「夏期講座」(指揮:ブルーノ・マデルナ/クラニッヒシュタイン室内合奏団)とオランダの「ガウデアムス現代音楽祭」(ガウデアムス合奏団)の2ヵ所で同日(4日)初演された。 |
1961年12月 | 帰国(20日)。 |
1962年1月 | 父、石井漠死去(7日)。 |
1962年9月 | 「石井眞木作品演奏会」を開催(東京・都市センターホール/指揮:小澤征爾、石井眞木/NHK室内合奏団ほか)。 |
1963年9月 | 「第5回現代音楽祭・京都」(20世紀音楽研究所主催)に参加。 |
1963年9月 | 「ドイツ大使賞」受賞(上記の音楽祭で演奏された《アフォリスメン》op. 5に対して/指揮:岩城宏之/音楽祭合奏団)。 |
1964年2月 | 「第4回東京現代音楽祭」(NHK・朝日新聞社主催)に参加(《絞首台の歌》op. 6の初演/指揮:若杉弘/バリトン:平野忠彦/東京混声合唱団/音楽祭合奏団)。 |
1965年9月 | 初めて電子音楽をNHK電子音楽スタジオで制作(《波紋》op. 9/指揮:若杉弘/ヴァイオリン:小林健次/プロコルデ室内合奏団)。 |
1966年1月 | 聲明を初めて聴く(奈良・法隆寺「夢殿」)。 |
1966年3月 | 「修二会」(お水取り/奈良・二月堂)を初体験。 |
1967年2月 | 「第1回日独現代一音楽祭」(東京ドイツ文化研究所主催)の企画構成、開催を行う(入野義朗、福島和夫、諸井誠と共同で)。 |
1968年2月 | 「第2回日独現代音楽祭」の企画構成(同上)を担当。 |
1968年7月 | NHK電子スタジオで《響応》op. 13の電子音響を制作。 |
1968年11月 | 「明治百年記念芸術祭・奨励賞」受賞(《響応》/指障:石井眞木/日独現代音楽祭室内オーケストラ)。 |
1969年2月 | 「第1回民音現代作曲音楽祭」で《響層》op. 14(指揮:森正/東京都交響楽団)が初演される。 |
1969年2月 | 「第3回日独現代音楽祭」の企画構成を担当。 |
1969年3月 | NHK電子スタジオで《螺旋I番》op. 15の電子音響を制作。 |
1969年6月 | 「ベルリン芸術家プログラム」(DAAD)の招聘により再渡独。これを契機にベルリン(西)にも居をかまえ、東京一ベルリンの2都を往復する生活に入る。 |
1969年11月 | 「昭和44年度芸術祭優秀賞」受賞(レコード部門《2人の打楽器奏者を伴うマリンパ曲》op. 16/マリンパ:安倍圭子ほか)。 |
1970年2月 | 「第4回日独現代音楽祭」企画構成を担当。 |
1970年3月 | 大阪万博(自動車工業館)の「Musique Mobile」の初演に立ち会う。 |
1970年9月 | ベルリン音楽大学で講演(「日本の音楽の世界」について)。 |
1970年10月 | 「日本の前衛 ’70」(室内楽コンサート)をベルリン芸術週間で企画構成する(出演:F. ブリュッへン、山下ツトムほか)。このコンサートで《遭遇I番》op. 18の初演が行われた(史上初めて尺八とピアノがベルリンで〈遭遇〉した。尺八:横山勝也、ピアノ:園田高弘)。 |
1971年1月 | 東京音楽企画研究所(TOKK)設立、副所長に就任(所長:入野義朗)。 |
1971年2月 | 「第5回日独現代音楽祭」企画構成。同音楽祭で日本初の「遊歩音楽会」を一柳慧らと共に開催。 |
1971年6月 | 《遭遇II番》op. 19の初演(史と初めて宮内庁楽部の雅楽合奏がオーケストラと〈遭遇〉した/日比谷公会堂/指揮:小澤征爾エ/宮内庁楽部/日本フィルハーモニー交響楽団)。 |
1971年10月 | 「現代音楽のフォーラム」(東京音楽企画研究所主催)入野義朗と共に企画構成を担当。同フォーラムで「第2回遊歩音楽会」を開催。 |
1971年11月 | 「第9回レコードアカデミー賞・特別部門」(音楽之友社主催)受賞(《螺旋II番》op. 17/チェロ:堤剛)。 |
1971年12月 | 「ムジーク・デア・ゲーゲンヴアルト(べルリン自由放送局主催)で電子音響(マルチピアノ)操作で共演(《響応》op. 13のヨーロッパ初演/指揮:岩城宏之/ピアノ:菅原幸子/ベルリン放送交響楽団)。 |
1972年2月 | 「第6回日独現代音楽祭」企画構成。 |
1972年2月 | 小野雅楽会を引率し《遭遇II番》op. 19でアメリカ公演旅行を行う(サンフランシスコ、フィラデルフィア、ニューヨークほか/指揮:小澤征爾/小野雅楽会/サンフランシスコ交響楽団/ブィラデルフィア管弦楽団)。 |
1972年3月 | 「ロワイアン国際現代音楽祭」に参加。(《ピアニストと打楽器奏者のためのピアノ曲》op. 12/打楽器:山下ツトムほかのフランス初演に立ち会う)。 |
1972年8月 | 「ドクメンタ5」(西ドイツ・カッセル)を初めて体験する。 |
1972年11月 | 「第10日レコードアカデミ賞・特別部門」(音楽之友社主催)受賞(《遭遇II番》op. 19/指揮:小澤征爾/雅楽:宮内庁楽部/日本フィルハーモニー交響楽団)。 |
1973年2月 | 「第1回香港フェスティヴアノレ」に参加(オープニング・コンサート《遭遇II番》op. 19/香港初演/指揮:小澤征爾/小野雅楽会/新日本フィルハーモニー交響楽団)。 |
1973年9月 | 「TOKKアンサンブル」、「聲明」、「平家琵琶」欧米公演旅行(イラン、ポーランド、西ドイツ、フランス、カナダ、アメリカ)を行う(日本の新しい作品を海外に紹介することを目標に伝統楽器と西洋楽器の混成による10名前後の「TOKKアンサンブル」を入野義朗と結成。そのほかに聲明[青木融光大僧正]ほか僧侶20名、平家琵琶[井野川検校]も加えた公演団を入野義朗と共に引率した。とくに「聲明」、「平家琵琶」は史上初の海外公演)。 |
1973年9月 | 「日本との出会いフェスティヴァル」(ケルン・西ドイツ放送局主催)の企画構成に参画。 |
1973年9月 | 《ボラリテーテン》op. 22(ヴァーションII)の初演に立ち会う(ボン/指揮:秋山和慶/独奏:鶴田錦史、篠崎史子/ケルン・西ドイツ放送交響楽団)。 |
1973年10月 | 《ボラリテーテン》op. 22(ヴァーションII)の初演に立ち会う(ベルリン・フィルハーモニー・ホール/指揮:小澤征爾/独奏:鶴田錦史、篠崎史子、横山勝也、J. ギル・ギャロウェイ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)。 |
1973年11月 | 「ベネチア市賞」受賞(TV映像作品「玄」の音楽/イタリア賞コンクール・テレビ音楽部門)。 |
1973年11月 | 「芸術祭優秀賞(548年度)受賞({ピアニストのためのアフォリスメンII》op. 21/ピアノ:高橋アキ)。 |
1974年9月 | 「ワルシャワの秋」フェスティヴア/レに参加。 |
1974年10月 | ヨーロツパ公演旅行(ベルリン芸術週間、エクサン・プロヴァンス祭、スイス現代音楽祭ほか/「花鳥風月コンサート」/小杉武久、T. ケスラ一、篠崎史子と共に)。 |
1975年5月 | 〈ディポール)op. 19bのフランス(パリ)初演に立ち会う(指揮岩城宏之/パリ管弦楽団)。 |
1975年6月 | 東南アジア旅行(香港、フィリッピン、シンガポール、マレーシア、インドネシア)。各地の民俗音楽、民俗芸能を初体験する。 |
1975年7月 | 佐渡ヶ島で鬼太鼓座(おんでこざ:太鼓集団)を初めて聴く。《モノクローム)op. 28、〈モノプリズム》op. 29の構想を練る。 |
1975年9月 | 初めて「東ベルリン」でコンサートと講演を行う(国立オペラ座/ロビー・コンサート《螺旋II》op. 17ほか)。 |
1975年9月 | 「御諏訪太鼓」を初めてヨーロッパに紹介する(R. ハイネマン博士と共に)。 |
1975年10月 | 〈オーケストラのための序》op. 26ヨーロッパ初演に立ち会う(ベルリン・フィルハーモニー・ホール/指揮:岩城宏之/べルリン・フィルハーモニー管弦楽団)。 |
1975年11月 | 'TOKKアンサンプル」を入野義朗と引率し、東南アジア公演旅行(主催:国際交流基金/香港、マニラ、シンガポール、クアラルンプール、ベナン、ジャカルタ)を行う。 |
1976年1月 | 「第1回パンムジーク・ブェスティヴァル」(日独現代音楽祭の新たな継続として/東京音楽企画研究所・東京ドイツ文化研究所共催)の組織・運営・企画構成を行う(入野義朗、福島和夫らと共に)。同時に、「第I回現代演奏コンクール(日本の伝統楽器による)一新しい伝統の創造へ一」を企画・開催。 |
1976年3月 | 「森英恵の世界」(ファッション・ショー)の音楽担当(西武劇場)。 |
1976年4月 | アメリカ(ボストン)滞在、7月初演予定の《モノプリズム》のオーケストラ・リハーサルに立ち会う(指律:小澤征爾/鬼太鼓座/ボストン交響楽団)。 |
1976年5月 | 《遭遇II番》のバレエ版(LPによる)のリハーサル、プレミエーレに立ち会う(ベルリン・芸術・アカデミーホール/ドイツ・オペラ・バレエ団)。 |
1976年7月 | アメリカ(タングルウッド)滞在、《モノプリズム》op. 29の初演に立ち会う(バークシャー音楽祭[タングルウッド]/指揮:小澤征爾/鬼太鼓座/ボストン交響楽団)。 |
1976年9月 | 「TOKKアンサンプル」を引率し、イラン、東・西欧公演旅行(イラン、イギリス、ポーランド、西ドイツ、プランス、オランダ、チエコスロヴァキア、スウェーデン)を行う。 |
1976年9月 | 「シラス国際音楽祭」、「ワルシャワの秋」、に参加。 |
1976年10月 | 「第2回メタムジーク・ブェスティヴァル・ベルリン」に参加、鬼太鼓座を初めてヨーロッパに紹介する(ベルリン・ナショナルギャラリー/《モノクローム》op. 28の初演/鬼太鼓座)。 |
1976年10月 | 《遭遇II番》op. 19のヨーロッパ初演に立ち会う(ベルリン・フィルハーモニー・ホール/指揮:小泉和裕/雅楽:宮内庁楽部/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)。 |
1977年2月 | 「尾高賞(NHK交響楽団)受賞(《モノプリズム》op. 29に対して)。 |
1977年5月 | 「第2回パンムジーク・フェステイヴアル」企画構成(「第II回現代演奏コンクール(日本の伝統楽器による)一新しい伝統の創造へー」同時開催)。 |
1977年9月 | 「ミュンへン国際音楽コンクール/打楽器部門」の審査員。 |
1978年2月 | 「第3回パンムジーク・フェスティヴァル/パート1」企画構成。 |
1978年2月 | ケレン滞在、西ドイツ放送局(WDR)の電子音楽スタジオで《面(おもて)》op. 35の電子音響を制作。 |
1978年5月 | 「ムジカノヴァ・フェスティヴァル」(ハノーヴァ一国際現代音楽祭)に参加(《失われた響きII》op. 33の初演/オルガン:S. サットマリー)。 |
1978年6月 | 「第3回パンムジーク・フェスティヴアル/パート2」企画構成。 |
1978年7月 | 「TOKKアンサンブル」を引率し、南米・米公演旅行(リオデジャネイロ、サルパドール、サンパウ口、タングルウッド、ニューヨーク)を行う。 |
1978年9月 | テレビ音楽番組『オーケストラがやってきた』(TBS)の司会を担当(約2年間継続) |
1978年10月 | ケルンにて《面(おもて)》op. 35のヨーロッパ初演に立ち会う(「ムジーク・デア・ツァイト」)ケルン・西ドイツ放送局ーWDR主催/能役者:喜多長世/打楽器:吉原すみれ)。 |
1978年10月 | 「第2回メタムジーク・フェスティヴァル」(ベルリン)に参加。 |
1978年11月 | 「石井眞木コンサート(室内楽)」(「パリの秋・フェスティヴァル」/《失われた響きIーヴァーションCー》op. 32初演ほか)。 |
1978年12月 | 「第1回インゼル・ムジーク」(ベルリン現代音楽祭)企画構成(E. グロースコップ、T. ケスラ一、グタマ・スギオらと共に。以後現在まで毎年開催)。 |
1979年1月 | 初めて自作以外の作品を指揮する(新日本フィルハーモニー交響楽団第65回定期演奏会/R. ワグナー《トリスタンとイゾルデ》前奏曲・愛の死、《タンホイザー》序曲とバッカナーレほか)。 |
1979年6月 | 「ミッデルブルク・現代音楽祭」(オランダ)に参加(「日本作品の夕ベ」を指揮する[音楽祭室内合奏団]/《遭遇II番》op. 19オランダ初演/指揮:C. ハルフター/小野雅楽会/オランダ放送管弦楽団)。 |
1979年9月 | 「第4回パンムジーク・フェスティヴアル」、「第III回現代演奏コンクール(日本の伝統楽器による)一新しい伝統の創造へ」開催。 |
1980年3月 | 「曙光」ヨーロッパ初演に立ち会う(ベルリン・フィルハーモニー・ホール/指揮:岩城宏之/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)。 |
1980年5月 | 「石井眞木特集(室内楽)」(rインゼル・ムジーク」ベルリン現代音楽祭)。 |
1980年6月 | 香港にて講演会(「日本の創造音楽の状況」について)。 |
1980年6月 | 入野義朗死去(28日)。 |
1980年9月 | 「第14回パンムジーク・フェスティヴァル」(この回より1967年「第1回日独現代音楽祭」よりの通算の回に変更)、「アドホック・クリティックス」(批評のコンクール)同時開催(入野義朗と共同で企画構成)。初日(19日)「入野義朗追悼演奏会」(追悼作品《彼方へ》op. 41初演/演奏:高橋アキ)。 |
1980年11月 | 「昭和55年度芸術祭優秀賞」受賞(《熊野補陀落》op. 42/義太夫:竹本織大夫、マリンパ:荒瀬順子、打楽器山口恭範)。 |
1981年6月 | 《面(おもて)》op. 35の香港初演に立ち会う[香港芸術祭]。 |
1981年9月 | 「ジャパン・イン・ベルリン」[ベルリン芸術週間主催]で、「石井眞木コンサート」が開催される(《モノプリズム》op. 29のヨーロッパ初演(ベルリン・フィルハーモニー・ホール/指揮:石井眞木/鼓童/ベルリン放送交響楽団ほか)。 |
1981年9月 | 「ケルン・パーカション・フェスティヴァル」に参加(ケルン・西ドイツ放送局ーWDR主催)の「鼓童」旗揚げ公演に参画/《入破》op. 46初演)。 |
1981年11月 | 「第15回パンムジーク・フェスティヴァル」企画構成(W. プルデと共に/テーマ:「ベルリン・イン・ジャパン」)。 |
1982年9月 | 「第16回パンムジーク・フェスティヴァル」企画構成(副島輝人、J. E. ベーレントと共に/テーマ「ジャズと現代音楽」)。 |
1983年6月 | 「石井眞木作品演奏会(室内楽)」(「今日の音楽」/西武劇場/初演:《時の閃き》op. 54ほか/ハープ:篠崎史子ほか)。 |
1983年6月 | 「石井眞木の世界(管弦楽)」(札幌交響楽団特別演奏会/《モノプリズム》op. 29ほか/指揮:岩城宏之/鼓童/札幌交響楽団)。 |
1983年8月 | 「石井眞木コンサート」一一作曲家、指揮者として(一日本の夏・ジュネープ'83ー/《失われた響きIII》op. 34/ヴァイオリン独奏:P. ズコフスキー/チャイコフスキー《第4交響曲》ほか/スイス・ロマンド管弦楽団)。 |
1984年5月 | 《輝夜姫》一一日本太鼓群と打楽器群のための交響的組曲op. 56でオランダ各地を公演旅行/指揮:石井眞木/鼓童/サークル・パーカッション)。 |
1984年7月 | 「第17回パンムジーク・フェスティヴアル」企画構成(テーマ:演奏における熟成と変換)。 |
1984年11月 | 《蛙の声明》ーー草野心平の詩によるop. 61の初演(天台宗、真言宗の僧侶ほか多数が出演し、初めて経文以外の〈現代詩〉を唱える/国立劇場委嘱作品)。 |
1985年6月 | 「ユニセフ・コンサート」に参加(ドイツ・オペラ・ベルリン/《モノプリズム》ほか/指揮:石井眞木/鼓童/ベルリン・パーカッション/ほか)。 |
1985年6月 | 「ホリゾンテ・フェスティヴァル'85」に参画(「日本の室内楽・伝統と現代の夕べ」のプログラム構成を担当)。 |
1985年7月 | 「第1回〈東京の夏〉音楽祭」の企画機成、開催(船山隆、江戸京子と共同で担当/テーマ:〈音楽・エキゾティシズム・オリエンタリズムー西洋音楽の熟成と変換ー〉)。 |
1985年11月 | 《輝夜姫》op. 56bバレエ版の初演(簡易保険ホール/指揮:石井眞木/鼓童/雅楽合奏/岡田知之打楽器合奏団/振付:遠藤善久/スター・ダンサーズ・バレエ団)。 |
1986年2月 | 「第4回中島健蔵音楽賞(最優秀賞)」受賞(1985年度)。 |
1986年2月 | 「インヴェンション・フェスティヴァル」参加のため、真言宗の僧侶20名をベルリンに引率し、《蛙の声明》op. 61のヨーロッパ初演を行う(真言宗の僧侶20名が、由緒あるカトリックのセント・セパスチャン教会で史上初めて〈聾明〉を唱えた)。 |
1986年7月 | 「第2回〈東京の夏〉音楽祭」の企画構成(江戸京子と共同で担当/テーマ:〈汎民族主義の音楽ーーロシア・ソヴィエト音楽を中心に〉)。 |
1986年10月 | サントリー・ホール落成記念・オープニングシリーズ「ザ・ガラ・オープニングナイト」のプログラム構成を実相時昭雄と担当。 |
1986年12月 | 「近代舞踊の燥火」一肉体/音・リズム/表現(「石井漢、山田耕符生誕百年記念」の会を企画構成/草月ホール/実行委員長:船山隆/協力:実相寺昭雄、千田是也、團伊玖磨、片岡康子ほか舞踊家、音楽家多数出演)。 |
1987年4月 | 「石井眞木作品演奏会(打楽器の世界)」(ベルリン市制750周年記念祭の一環として)交響的組曲《輝夜姫》ほか/ベルリン・フィルハーモニー・ホール/指侮:石井眞木/鼓童、ベルリン・パーカッションほカ)。 |
1987年7月 | 「第3回〈東京の夏〉音楽祭」の企画構成(江戸京子と共同で担当/テーマ「創造と演奏・民族性を超えて」一一アメリカ音楽を中心に)。 |
1987年10月 | 「石井眞木の個展」(「ベルリン・インゼル・ムジーク現代音楽祭」/《浪殺の響き》op. 76のヨーロツパ初演ほか/演奏:藤井むつ子、前金奈千子、御喜美江、石井敬ほか)。 |
1987年11月 | 「第2回・ジャパン・イン・ベルリン」のプログラム構成を担当(ベルリン市政750周年祭記念の一環として/主催:ベルリーナー・フェストシュピーレ/パツハ、シューマン、ドビュツシー、藤田正典、松下功、細川俊夫、石井眞木作品ほか/演奏:安永徹、W. .シュトレーレ、G. ファウスト、A.プラウ[ベルリン・フィルのメンバ一]、漆原朝子、吉野直子、小西理恵、前金奈千子)。 |
1988年2月 | 「ドイツ批評家賃」受賞(1987年度)。 |
1988年3月 | 「伊福部昭先生の叙勲を祝う会」(「祝賀コンサート」/石井眞木一《幻の曲》を献呈/ほかに芥川也寸志、黛敏郎、松村禎三らのお祝いの曲を指輝する/サントリーホール/新星日響室内オーケストラ)。 |
1988年4月 | オーケストラ・アンサンプル金沢の「コンポーザー・イン・レジデンス」に一柳慧と共に就任。 |
1988年5月 | ベルリン芸術大学で講演(「私の音楽における響き・時間・空間」について)。 |
1988年6月 | 幻想的バレエ《輝夜姫》op. 56bの改訂版が、オランダ・フェスティヴァルのオープニングとしてベアトリック(オランダ)女王ご夫妻ご臨席のもとでオランダ・プレミエーレが行われた(ハーグ・ネザーランド・ダンス・シアター/10回公演/指揮:石井眞木/振付:イリー・キリアン/ネザーランド・ダンス・シアター・バレエ団/サークル・パーカッション/近藤克次ー鼓童/雅楽合奏:芝祐靖、宮田まゆみ、八百谷啓)。 |
1988年9月 | 《桃太郎征妖魔(おにたいじ)》op. 80を国立劇場で初演、演出(国立劇場委嘱作)。 |
1988年12月 | 「インゼル・ムジーク」(ベルリン現代音楽祭)の10周年記念コンサート・シリーズに参加。 |
1989年2月 | 講演(「私の音楽について」)と「石井鼻木作品演奏会(室内楽)」に出席(サンフランシスコ/「JAPAN CURRENTS・FESTIVAL OF NEW MUSIC」)。 |
1989年3月 | バレエ《輝夜姫》再演の指揮(振付:イリ一・キリアン/ネザーランド・ダンス・シアター・バレエ団ほか/ハーグ、アムステルダム、ロッテルダム、エッセンーードイツ・プレミエーレ/16回公演)。 |
1989年7月 | 「第5回〈東京の夏〉音楽祭」企画構成(栗津則雄、川村二郎、江戸京子と共同で担当/テーマ:ドイツ・ロマン主義とその展開と反逆〈ベルリンの夜明け〉)。 |
1989年8月 | 名古屋・世界デザイン博覧会(シンボル・イヴェント)の作曲、構成(「シーサウンズ・ファンタジア・イン・ナゴヤ」/プロデューサー:山本寛齊/ベルリン・ドイツオペラ・バレエ団プリマ・バレリーナー/スター・ダンサーズ/鼓童/岡田知之打楽器合奏団ほか)。 |
1989年10月 | 「作曲家の個展一' 89石井県木」一一サントリー音楽財団コンサート(《オーケストラのための風姿》op. 84初演、《ポラリテーテン》op. 22日本初演ほか/サントリ一・ホール/指揮:石井眞木/独奏者:坂田美子、篠崎史子、三橋貴風、金昌園、吉原すみれ、篠崎功子/東京都交響楽団)。 |
1989年11月 | 名古屋・世界デザイン博覧会(シンボル・イヴェント)の音楽構成担当(《KANSAI HUMAN VOLCANO》/原案:手塚治虫/構成・演出:山本寛齊/演奏:篠崎正嗣、吉原すみれ、山口恭範/キャスト:滑川五郎、木佐賀邦子、本多美奈子ほか)。 |
1990年1月 | 「石井眞木作品集(管弦楽)」一一都響日本の作曲家シリーズ8(《響層》op. 14、《祗王》op. 60ほか/指揮岩城宏之/独奏:赤尾三千子/東京都交響楽団)。 |
1990年3月 | 「アジア音楽祭 '90」一新しい響きの交流ー/東京一仙台/第13回アジア作曲家連盟日本大会ーの実行委員長を担当。 |
1990年4月 | 《水炎伝説》の作曲、音楽監督を担当(企画:赤尾三千子)作:大岡信/演出:実相寺昭雄/演奏:赤尾三千子、山口恭範/朗読:白石加代子/地唄舞:関崎ひで女/舞踏:田中泯/ほか)。 |
1990年6月 | 「第27回プラハ国際テレビ祭・特別賞受賞」(《大蛇(おろち)》ーTV映像のための音楽に対して/制作:NHK/日本伝統楽器群/東京フィルハーモニー交響楽団)。 |
1990年9月 | 《水炎伝説》アメリカ公演に出席(ロサンジェルス、ニューヨーク)。同時開催「石井眞木レクチャー・コンサート」(「夜の響き・朝の響き一日本の伝統音楽の特殊司主と私の音楽」/《夜の響き》op. 82ほか/演奏:松田洋子、赤尾三千子)。「第5回京都貨・大賞」受賞。 |
1991年1月 | 「第28回レコード・アカデミー賞」(音楽之社主催)受賞/「石井眞木/交響と協奏』(CD:デンオンCOCO6812/《オーケストラのための風姿》ほか/指揮:石井眞木/東京都交響楽団)。 |
1991年1月 | 新交響楽団「現代の交響作品展 '91」シリーズの第1回の指揮を担当(松村禎三《前奏曲》、石井眞木《解脱》、伊福部昭《釈迦》/独奏:赤尾三千子)。 |
1991年2月 | バレエ《輝夜姫》再演の指揮(振付:イリー・キリアン/ネザーランド・ダンス・シアター/ロッテルダム、ハーグ/6回公演)。 |
1991年3月 | バレエ《輝夜姫》がベアトリック女王ご夫妻、ミッテラン大統領ご夫妻ご臨席のもとパリ・オペラ座でフランス・プリミエーレされた(指揮ー石井眞木/振付:イリー・キリアン/ネザーランド・ダンス・シアタ一也)。 |
1991年3月 | 「芸術作品賞」(文化庁主催/平成3年度)受賞「石井眞木/交響と協奏」(CD:デンオンCOCO6812/《オーケストラのための風姿》ほか/指揮・石井眞木/東京都交響楽団)。 |
1991年7月 | 「鼓童・10周年記念コンサート/Gathering」に参加(オーチヤードホール/《モノプリズム》op. 29ほか/指揮石井眞木/鼓童/新日本フィルハーモニー交響楽団)。 |
1991年10月 | 「第16囲神奈川芸術祭オープニング・コンサート」の指揮を担当(神奈川県民ホール/《解脱》op. 63、《アフロ・コンチェルト》op. 50ほか/独奏:赤尾三千子、吉原すみれ/神奈川フィルハーモニー交響楽団)。 |
1991年11月 | 「石井眞木の音楽(室内楽)」一一神奈川芸術祭(神奈川県立音楽堂/企画構成:秋山邦晴/《「ピアノ曲」一一北・銀・秋(冬)》op. 93初演、《アフォリスメン》op. 5ほか/指揮:石井眞木/演奏:小林健次、篠崎功子、苅田雅治、山田百子、山口恭範、蛭田令子、高橋アキ、宮田まゆみ、石井眞木)。 |
1991年12月 | 「サヌカイトフォン/贈呈式と演奏」に出席(ベルリン日独センター)サヌカイト命名100周年を記念して四国の前田仁が日独センターに自作のサヌカイトフォーンーー石の楽器を寄贈した/《異説・浦島太郎》op. 92の1部を演奏/演奏:藤井むつ子、佐野恭一、F. Feurichほか)。 |
1991年12月 | 「伊福部昭の世界」一ー伊福部昭喜寿記念に参加(府中の森芸術劇場/伊福部昭《シンフォニア・タプカーラ》ほか/指揮:石井眞木/新星交響楽団)。 |
1992年1月 | 第2回「現代の交響作品展 '92」一一新交響楽団(指揮を担当/一柳慧《ピアノ協奏曲第1番》/独奏:一柳慧/連作初演 石井眞木《浮務する風》)。 |
1992年6月 | 「石井県木作品集(管弦楽)」一一オランダ・パーカッション・フェスティヴァル(《アフロ・コンチェルト》op. 50、《モノプリズム》op. 29ほか/指揮:ジャック・ファン・ステン/演奏:ムーク・ジスコート、サークル・パーカッション/レジデンツ・オーケストラ・ハーグ)。 |
1992年ー1998年 | (未定稿) |
1992年2月 | 石井眞木は、第十八回オリンピック冬季競技大会(長野、1998年)の開閉儀式の音楽の一部分を作曲又は編曲。又、閉儀式の音楽監修(スーパーヴァイザー)を担当された。 |
1998年ー2003年 | (未定稿) |