遭遇 II 番 (1971)
作品名(英) | Sō-Gū II |
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作品名(独) | Sō-Gū II |
作品記号 | 019 |
作品年 | 1971 |
ジャンル | オーケストラ/協奏 |
演奏時間 | ca. 18分 (未決定) |
楽器 | Gagaku-ens, Orch |
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曲目解説
「遭遇Ⅱ番」は、その響きが私の深層に潜(ひそ)んでいた「雅楽」を取り上げたかった。世界最古の管絃楽といわれる雅楽を、現代の西洋型管弦楽と対置させるイデーである。「遭遇Ⅱ番」(1971/Op.19)である。方法論は「遭遇Ⅰ番」(尺八とピアノ/1970/Op.18)と同じで、二つの独立した作品を書いた。雅楽のための「紫響」と、オーケストラのための「ディポール」である。タイトルの「紫響」の<紫>は、雅楽と西洋楽器の音集合の質の違いを象徴したもので、「ディポール」とは、東西の両極性を意味している。遭遇すべきそれぞれの作品に、すでに東西音楽の要素が混在しているのは「Ⅰ番」と同様である。雅楽は西欧から見れば特殊な楽器の集合であるが管、絃、打がそろっている<オーケストラ>である。前作の、<一つの音を極めるのが禅である>とする尺八と違って、<現代の作品を演奏する>という伝統音楽家の拒絶反応を別にすれば、現代語法で私の音楽を書くことはより容易であった。つまり、両者の音様式は「Ⅰ番」よりはるかに接近したのである。そして、このオーケストラという総合体では、二つの音世界の要素をそれぞれ複合的に混在させることが可能で、それらが互いに反発し、協調しつつ、ある一つの音世界へ向かう姿が見えてくる。
-困惑の形式-
「遭遇」の形式について付記する。「遭遇Ⅰ番、Ⅱ番」に共通することは、一定の枠組みはあるが、それぞれ二つの曲は確定されていない箇所で、言葉通り<遭遇>する。二つの作品がそれぞれ同時空ではあるが<任意的>に遭遇する形をローター・マットナー氏は『偶然性の音楽、音色作法、いや即興作品とすらいえるのではないか』と困惑して書き、日本のある音楽評論家は『これは「作品」として成立しない』と断言していた。確かに、1960年代の西欧的概念から見れば<困惑の形式>であろう。しかし、マットナー氏もいうように、この作品をそのような西欧的概念で捉えては理解できまい。
作曲家がある意識をもち、二曲間の音様式の統一、あるいは近似性に極力留意するとき、これらはどこで遭遇しようと「作品」としての一体感を得られるはずだ。遭遇の作曲中、このような信仰にも似たものがあったと告白しよう。そして、初演後は「作品」の存立についてはある確信を得た。射止めた手応えを感じたのである。
初演:23.6.1971/東京文化会館/指揮:小沢征爾/雅楽:宮内庁楽部/日本フィルハーモニー交響楽団
アメリカ初演:1972年2月/サンフランシスコ/指揮:小沢征爾/雅楽:小野雅楽会/サンフランシスコ管弦楽団
ヨーロッパ初演:1978年秋/ベルリン芸術週間/ベルリン・フィルハーモニーホール/指揮:小泉和裕/雅楽:宮内庁楽部/ベルリン・フィルハーモニック交響楽団
石井眞木, 1997年。源:石井眞木「西の響き・東の響き」より一部転載/メック社・音楽之友社刊