音響詩 「熊野補陀落」 (1980)
作品名(英) | Sounds poem "Kumano Fudaraku" |
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作品名(独) | Klanggedicht "Kumano Fudaraku" |
作品記号 | 042 |
作品年 | 1980 |
ジャンル | 室内楽 |
演奏時間 | 23分 |
楽器 | vo, mba, perc, elec-sounds |
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曲目解説
紀州・熊野は神話の昔から黄泉の国と呼ばれ、魂のこもる世界とされてきた。ここには、中世以来八世紀あまりにわたって、僧が民衆の魂の救済のため、生きたまま死の世界へ送り込まれる〈補陀落渡海〉という風習があった。窓も櫂もない目無し籠舟に、僅かな水だけを与えられ極楽浄土を目指す、永遠の帰らざる舟出である。この即身成仏の旅を、生身の僧はいかなる思いで遂げようとしたのであろうか。
私は昨年11月、日生劇場で日本初上演された拙作のオペラ「閉じられた舟」は、この「熊野補陀落」を源拠としているが、内容は少し異なる。オペラでは、一人の高僧が死への恐怖、生への執着に苦悶し、果ては成仏できずに悶絶死し中有(バルドー)の世界へ入る。しかし音響詩「熊野補陀落」では、同様に死に恐怖し、苦悶しながらも、死の法悦の世界に入ってゆく僧の心の内面を声と音の響きで表出しようとしたものである。〈補陀落渡海〉では、成仏できずに舟を破り逃げ帰った金光坊という僧の話しが伝説的に伝えられているが、死の法悦の世界に没入した僧もいたはずである。
義太夫の声は、伝統的な節付に準拠はしているが、太棹ではなく、マリンバ、打楽器による―劇的、非劇的な音響表現による―敷衍は、義太夫節の伝統を逸脱した声の抑揚、表情が随所に表れる結果になる。日本的な情念と語りものの強烈な表現力の現代的変容である。それはさらに、電子音響によって多様に増幅される。因に、電子音響の素材は、声と打楽器音に限定されている。
この作品は20年前にNHK-FM放送のために作曲され放送されたが、今回は舞台初上演になる。竹本織大夫氏(現、綱大夫)の声の変容は素晴らしかったが、その録音時に感銘を受けたのは、その声が顔の表情、全身の動きから迸(ほとばし)る様であった。これは、残念ながら放送では味わえない。今回の舞台上演が待たれる所以である。
放送初演:26.10.1980/NHK・FM放送/録音:NHK大阪スタジオ(BK)/義太夫:竹本織大夫(現、綱大夫)/マリンバ:荒瀬順子/打楽器:山口恭範/電子音響制作:NHK電子音楽スタジオ
舞台初演11.7.2001/<東京の夏>音楽祭/草月ホール/義太夫:竹本綱大夫/マリンバ:山本晶子/打楽器:山口恭範
石井眞木, 2001年07月。源:<東京の夏>音楽祭での舞台初演のプログラムのための解説より