異説・浦島太郎 (1991)
作品名(英) | Strange Tales – Urashima Tarō |
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作品名(独) | Strange Tales – Urashima Tarō |
作品記号 | 092 |
作品年 | 1991 |
ジャンル | 舞台 |
演奏時間 | 45分 |
楽器 | j-dancer, dancer, ryuteki, sho, reigaku, shomyo, perc |
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曲目解説
古来アジアでは、地底や海底に棲むという想像上の動物「龍」は力の象徴として、また「玄」には、芸術的な深い境地を表す<微妙で深遠な理>との意味がある。タイトルは、この「龍」と「玄」の合成語による。そして、この交響譚詩の題材は、深海に存在する隔絶した空間、すなわち、われわれの生きているのとは異る時間をもつ「龍宮」へ、時間を超越して旅をする「浦島太郎」であり、また、「玄」に象徴される<ある境地への旅>でもある。
この作品は、全体を象徴する短いプレリュードと三つの部分からなっている。
第Ⅰ部は海辺のシーンで、ある時、漁師の浦島太郎が海辺を歩いていると、浜で子供たちが大きな海亀を捕まえてイジメているのに出会う。彼はその亀を助けて海に逃がす。亀はそのお礼に浦島太郎を背中に乗せて、龍神の棲む深海の底にある華美なる宮殿「龍宮」に案内する。この龍宮に行く場面と、後に地上に戻る場面は、音響を循環させることにより、次第に時空が変わる「変換音響」によっている。
第Ⅱ部は龍宮での浦島太郎と乙姫の愛のシーン。そこで浦島は、龍宮の主である乙姫と契りを結び、3年間を幸せに過ごす。ここはこの作品全体の核心をなす部分で、浦島太郎自身と乙姫の二つの異なる<時間>が錯綜する。しかしやがて、止むに止まれぬ望郷の念から、浦島は乙姫と惜別し、再び亀に乗って故郷(地上)に戻る(「変換音響」)。
第Ⅲ部。しかし地上では数百年が経っており、海辺も生家もすっかり変わり、荒れ果てていた。浦島太郎は絶望し、『不幸が起こるので、決して開けてはならない』と言われ、乙姫から離別の際に贈られたお守りの箱―玉手箱―を開けてしまう。すると煙りが立ちのぼり、浦島はたちまちのうちに老人に変わり、昇天する(「変換音響」)。
時空を変換させるこの作品のもう一つの特徴的なコンセプトは、サブタイトルにあるように、ある想像上のバレエ─踊る身体の動き―が、一つの役割を果すことである。これは、舞楽の舞い(形象)を、雅楽(管弦)の音に変換する手法の応用で、ある形象をオーケストラ音響に変換させている。
初演:9.5.1994/N響ミュージック・トモロー/サトリーホール/指揮:外山雄三/NHK交響楽団
石井眞木
この作品は、三年前の国立劇場委嘱作品「桃太郎征妖魔(おにたいじ)」の内容をさらに展開させたものである。「桃太郎」では、日本古来の音楽に深く浸透している東洋の哲理、易や五行思想などに準拠し、そこから作品全体の調和と秩序を得んとしたが、「浦島太郎」では、そのようなコンセプトをふまえながらも、より現代的な要素を混在させ内容的にも音響的にも新たな飛躍を試みた。例えば、記譜法にもそれが表われている。「桃太郎」では、僅少の例外を除いて一切の西洋音楽的五線記譜法を避け、「管絃音義」にある高下輪転図などから応用した記譜法によったが、今回はこれらの記譜法に、譜例にあるような現代的五線記譜法も併用させた。
「異説・浦島太郎」は音楽、そしてそれを形象化した動きにおける〈時間と空間〉の問題を主題に、それを象徴的に表出しようとした作品である。
私のこれまでの作品には、しばしば西欧的な時間と日本的時間が重層的に存在するものがあるが、この異なった時間の層の隔たり〈ずれ〉に音楽的空間が存在する。これを〈時間層の間にある空間〉と呼ぶが、ある種の雅楽や聲明のように観念的に〈音を堆積していく〉音楽も空間的といえよう。この音楽空間では、音楽時間の方向性を消滅させることで、音楽時間を〈静止〉させることができる。
浦島伝説で、浦島太郎は浜辺で助けてやった亀に乗せられて龍宮へいく。そこで乙姫の歓待をうける。しかし、龍宮での浦島太郎の「時間」は地上の時間ではなかった。数日たって地上に戻り玉手箱を開けると一瞬のうちに年をとり老人になってしまう。似たような説話は「リップ・ヴァン・ウィンクル」などヨーロッパにもあるが、いずれも仙郷で過ごした時間と地上時間との〈ずれ〉があって面白い。これはアインシュタインの「相対性理論」の有名な「時間のパラドックス」を思い浮かべるのである。ロケットに乗って宇宙旅行した人間と、地球上に残っていた人間の時間の〈ずれ〉のことである。これを「ウラシマ効果」という学者もいるが、この〈ずれ〉は音楽時間の新しい問題とも重なり合うかも知れない[椿説!]。また、浦島伝説で重要な役割をする亀(乙姫は亀の化身であろう)と関連をもつ「天円地方(てんえんちほう)」説という中国の漢代の宇宙観で各シーンを調和させようと図った。これについて、今回の映像構成を担当される杉浦康平氏は次のように述べている。
『「天」は「円く半球」であり、「大地」は「平らで方形」に広がるという宇宙観。
・・・その天円地方説を体現する動物が身の周りにいたのです。つまり亀であった。亀 は丸い背の甲と平らな腹の甲の二つの甲羅をもつ。・・・長寿を生き、黒々とよどむこ の奇妙な動物に、中国の古代人は、深い神秘と共感をおぼえたのですね。そこで「玄武 (げんぶ)」と呼ばれる霊獣を案出した。玄武とは、蛇と亀が合体した形の複合霊獣。北 の方位を象徴するとされる。』
[「天籟受器」/月間アーガマ誌/No.119/1991]
全体は四つのシーンからなっている。
第一場面「天の極点」は形而上の空間で、北の方位を象徴する。全体は「管絃音義」にある北の方位の換喩法、すなわち夜・冬・石(サヌカイトフォン-石の楽器)・盤渉調(基音H音)・黒(闇)で統一した。サヌカイトフォンは北極星(小熊座)を、龍笛は「玄武」の蛇を、竿(う/大型の笙)は亀を音響的に象徴し、僧侶は「北斗法(ぼくとほう)」の呪を唱える。
第二場面「龍宮-静止する響き」はこの作品の中心をなす。舞台は「天円」を象徴し、方位は中央で、音響は壱越調(基音D音)、色彩は黄が主体になる。全ての楽器はある音形を円を描くように演奏し響きは堆積する。ここで音楽は無指向性になり、空間的になり、静止した状態になる。浦島太郎は舞楽の舞で、乙姫はダンサーによってこの場面の〈静止した響き〉を動きに変換し形象化する。僧侶は相対性理論の〈時間の相対性〉に関する原論文の数式の断片を朗誦する。
第三場面「現代」の舞台は「天円地方」の方形を表わし、地上に戻った浦島太郎が玉手箱を開ける場面。鉄の打楽器群(シデロイホスほか)が地上の現実の時間を表わし、厳しい音響を奏する。
第四場面は第一場面の再現であるが、新しい要素〈西の響き〉が微かに現われ〈東の響き〉との〈ずれ〉を表出するが、全体的な音響、色彩は次第に重層していく。乙姫が再登場し〈悠久〉を舞い、特殊な集合音塊に音楽時間は再び〈静止する〉。
石井眞木, 1992