エピソーデII (1994)
作品名(英) | Episode II |
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作品名(独) | Episode II |
作品記号 | 103 |
作品年 | 1994 |
ジャンル | 室内楽 |
演奏時間 | |
楽器 | shamisen, vo |
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曲目解説
この作品は、ある物語(エピソード)を念頭において作曲した。しかし、ここでそのストーリーを述べることは重要ではない。<声>は、三絃の演奏と対位的に、あるいは共奏的に表されるが、その声は、ただ音楽的に発想された<泣き>と、観音経による詞を<唱える>のである。むしろ物語の存在は潜在し、それを表す人と聴く人とを媒介し、両者の在る場をつくるための一要素にすぎない。
このストーリーは、伝統的に洗練され、芸術的に完成された唄、語りをともなう三絃音楽、いわば<陽>の部分を担ってきた人々とは一線を画する人々……座頭、瞽女(ごぜ)、イタコ、さらに溯って中世の説経師といった漂泊する人々によって語り、唄い、奏されるものと想定されている。このような人々は、社会制度の枠組みに入ることを許されず、忌み穢れを一身に負って語り歩き、口過ごす。その語るストーリーの内容はとるに足らぬものであっても、彼らが漂泊者であり、宿業(カルマ)を背負う民であるが故の<凄み>から、言い換えれば、極限の生活を強いられた者でなければ放出できないエネルギーによって、一旦語り出せばその場は異様な雰囲気に包まれ、非日常的な時間がその空間を支配する。
私は、三絃を伴う音楽が歩んできた過程における<陰>の部分に着目し、また中世末期の風俗を描いた『尾州家本歌舞伎図巻』にみられる、簓摺(ささらすり)説経に泣きながら聴き入る人々に触発をうけ、そしてなによりも、秀れた現代の三絃奏者の高田和子さんの演奏資質がこのことに充分適合するのではないかと考え、この作品を構想した。
<弾く>、ことが、<泣き>、<唱える>ことと一体化し、凝縮され、ある特異な時空間を創出する、という意図である。
石井眞木、1994年