交響譚詩 「龍玄の時へ」 (1994)

基本
作品名(英) Symphonic Ballade "Towards Time Dragondeep"
作品名(独) Symphonische Ballade "Towards Time Dragondeep"
作品記号 100
作品年 1994
ジャンル オーケストラ/協奏
演奏時間 28分
楽器 orch
楽譜・譜面
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曲目解説

古来アジアでは、地底や海底に棲むという想像上の動物「龍」は力の象徴として、また「玄」には、芸術的な深い境地を表す<微妙で深遠な理>との意味がある。タイトルは、この「龍」と「玄」の合成語による。そして、この交響譚詩の題材は、深海に存在する隔絶した空間、すなわち、われわれの生きているのとは異る時間をもつ「龍宮」へ、時間を超越して旅をする「浦島太郎」であり、また、「玄」に象徴される<ある境地への旅>でもある。

この作品は、全体を象徴する短いプレリュードと三つの部分からなっている。

第Ⅰ部は海辺のシーンで、ある時、漁師の浦島太郎が海辺を歩いていると、浜で子供たちが大きな海亀を捕まえてイジメているのに出会う。彼はその亀を助けて海に逃がす。亀はそのお礼に浦島太郎を背中に乗せて、龍神の棲む深海の底にある華美なる宮殿「龍宮」に案内する。この龍宮に行く場面と、後に地上に戻る場面は、音響を循環させることにより、次第に時空が変わる「変換音響」によっている。

第Ⅱ部は龍宮での浦島太郎と乙姫の愛のシーン。そこで浦島は、龍宮の主である乙姫と契りを結び、3年間を幸せに過ごす。ここはこの作品全体の核心をなす部分で、浦島太郎自身と乙姫の二つの異なる<時間>が錯綜する。しかしやがて、止むに止まれぬ望郷の念から、浦島は乙姫と惜別し、再び亀に乗って故郷(地上)に戻る(「変換音響」)。

第Ⅲ部。しかし地上では数百年が経っており、海辺も生家もすっかり変わり、荒れ果てていた。浦島太郎は絶望し、『不幸が起こるので、決して開けてはならない』と言われ、乙姫から離別の際に贈られたお守りの箱―玉手箱―を開けてしまう。すると煙りが立ちのぼり、浦島はたちまちのうちに老人に変わり、昇天する(「変換音響」)。

時空を変換させるこの作品のもう一つの特徴的なコンセプトは、サブタイトルにあるように、ある想像上のバレエ─踊る身体の動き―が、一つの役割を果すことである。これは、舞楽の舞い(形象)を、雅楽(管弦)の音に変換する手法の応用で、ある形象をオーケストラ音響に変換させている。

初演:1994年5月9日/N響ミュージック・トモロー/サトリーホール/指揮:外山雄三/NHK交響楽団

石井眞木

 

中国中世の抽象的な理想主義の思想を代表する言葉「玄」には、芸術的な深い境地を表す<微妙で深遠な理>との意味がある。古来アジアでは、地底や海底に棲むという想像上の動物「龍」は力の神として、また亀に蛇の巻ついた「玄武(げんぶ)」は水の神として崇められてきた。この「龍」と「玄」の合成語である「龍玄 (Ryū Gen)の時へ」のタイトルの示唆する意味は、この作品の題材の龍と亀にまつわる物語りにある、深海に存在する隔絶した空間、われわれの生きているのとは異る時間をもつ<異なる時の世界への旅>であり、「玄」に象徴される<ある深遠な芸術的境地への旅>でもある。

日本に古くから伝えられて来た「浦島太郎」の説話は、海辺のシーンから始まる。ある時、漁師である浦島太郎が海辺を歩いていると、浜で子供たちが大きな海亀を捕まえてイジメているのに出会う。浦島太郎はその亀を助けて海に逃がす。亀はその御礼に浦島太郎を背中に乗せて、龍神の棲む深海の底にある華美なる宮殿「龍宮」に案内する。そこで浦島太郎は、龍宮の主である「乙姫」と契りを結び、3年間を幸せに過ごす。しかし止むに止まれぬ望郷の念から、乙姫と惜別し、再び亀に乗って故郷(地上)に戻る。しかし、地上では数百年が経っており、海辺も生家もすっかり変わり果て、荒れ果てていた。浦島太郎は絶望し、『不幸が起こるので、決して開けてはならない』と言われて乙姫から離別の際に贈られたお守りの箱(「玉手箱」)を開けてしまう。すると「玉手箱」から煙りが立ちのぼり、浦島太郎はたちまちのうちに老人に変わり、昇天する。

これが物語りの大筋であるが、音楽的には、第Ⅰ部(スコアの練習番号 1 ~ 13 )は、物語りの冒頭から「龍宮」にくるまでを表し、第Ⅱ部( 14 ~ 29 )は龍宮の場面とそこからの帰還である。この第Ⅱ部の龍宮の場面は、この作品全体の核心をなす部分で、ここでは西洋音楽の伝統である音楽時間と、東洋音楽の音楽空間が統合されたコンセプトによる<複合的な時間・空間概念>によっている。そしてその前後、龍宮に行く場面と地上に戻る場面( 7 ~ 13 / 24 ~ 29 )には、音響を循環させることにより次第に時間が変わっていくことを表す<変換音響>を配している。第Ⅲ部の後半で、浦島太郎が「玉手箱」を開け、老人に変わる場面の音楽( 33 ~ 35 )も変換音響によっている。

この作品のもう一つの創造上の重要なコンセプトは、サブタイトルにあるように、あるイマジナリーな(想像上の)バレエ──<人が踊る動き>が、ある役割を果たしたことである。特に第Ⅱ部で私は、浦島太郎と乙姫の求愛の<時間と空間の動き>の象形を想定し、それを音化する、すなわち<音に変換する>ということを試みた。

「浦島太郎」という物語りのもつ特異な内容の意味を反映させた「龍玄の時へ」は、極く自然に、東西の異質な音楽要素による<二つの音世界からの創造>が表出する結果になり、これは私の求めている<第三のイメージの音楽>へのコンセプト──思索の旅でもある。

石井眞木, 1995