バレエ 「梵鐘の聲」 (1997)
作品名(英) | Bonshō no Koe |
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作品名(独) | Bonshō no Koe |
作品記号 | 108 |
作品年 | 1997 |
ジャンル | 舞台 |
演奏時間 | 180分 |
楽器 | Orch |
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曲目解説
「平家物語」によるバレエ音楽を書くにあたって、先ず念頭に浮かんだのは、物語の冒頭の『万物流転/ただ春の夜の夢の如し』という盛者必衰の理(ことわり)のことでした。この内容と、基は琵琶法師の語りによって構成された叙事詩の象徴するところを音楽の創造に転化してみると、起承転結が連なる絵巻物のような構成法が浮かんできます。これは、アリストテレス以来のいわゆる西洋音楽の劇的構成法とは異なるものです。私はこの絵巻物的構成法に大いに共感を抱きながら作曲しました。 しかしこの作品では、例えば、主役である清盛のモティーフがライトモティーフのように作品全体を統一するかのように見え隠れしますが、このことは、日本的な絵巻物的構成法に拮抗する西欧的な劇的な要素も存在していることを意味しています。いわばここには東西の構成法の共生があり、そこから一つの音世界を創造しようとする意図があるのです。
そして振付ー演出の石井潤氏とこれまで何度もミーティングを繰り返して感じたことなのですが、今回のバレエ「梵鐘の聲」で潤氏は、『マイムの要素をできるだけ避け、単に筋を追うような日本物バレエではない動きの象徴性を核にした舞台を創りたい』とのお考えがあるようでした。このコンセプトは私としても歓迎できるもので、あえて日本の伝統楽器の使用を避け、いわゆる西洋型のオーケストラで作曲したことはこの反映とも言えます。そしてこのかなり大きなオーケストラ編成で、日本の音要素と西欧的現代技法を共生させながら、音響の具象性と、同時に音響の抽象性をも得ようとしたのです。例えば、第Ⅰ幕の祇王の場面では、現在まで雅楽に伝承されてきた平安中期から鎌倉時代の「今様(いまよう)」(白拍子がこれを歌い舞ったという当時の流行歌)の旋律―具象性が出てきますが、このいにしえの極めて美しい旋律をとりまく響きは、西欧技法で抽象化されて展開します。
また、このような内容の長大な作品では当然のことながら、ある場面の情景を音楽で描写する必然性が生じます。しかし、単なる場面の描写の連続は、音楽全体の秩序、調和を損ねる恐れがあります。そこで、それぞれのシーンが呼び起こす心理的なイメージを表現するというコンセプトを導入しました。例えば、作品冒頭の大原の場面では、建礼門院の心理的イメージをオーケストラによる風の響きで表そうとし、第Ⅱ幕で清盛が死を目前に地獄の使者と対峙する場面では、平安初期に書かれた「日本霊異記」に出てくるような地獄の場面を想像しながら、清盛が抱いた―であろうイメージをさまざまな特殊打楽器音響を強調することで表し、第Ⅲ幕の美女が登場する那須の与一のエピソードでは、壮絶な戦いの合間という心理的イメージを音化しようしました。このような方式によれば、作品全体に単なる伴奏音楽でない、交響的な調和を保つことが可能になると考えました。タイトルにある「梵鐘」も何度か響きますが、これは予め録音した梵鐘をテープで再現します。冒頭の大原の場面では、文献に残る『木に葉の落ちる秋の物悲しい大原の山寺の梵鐘』に近い響きと思われる梵鐘(平調)を使用しましたが、複数の梵鐘があちこちから聴こえてくる場面では、京都の寺院の梵鐘を中心に合成したテープを使用します。
初上演:1-3.2.1997/新国立劇場ー開場記念公演ー/芸術監督:島田廣/振付、演出:石井潤/指揮:高関健/舞台美術:島川とおる/衣装:八重田喜美子/照明:足立恒/舞台監督:森岡肇/東京交響楽団
石井眞木