蛙の声明 (1984)

基本
作品名(英) Kaeru no Shōmyō
作品名(独) Kaeru no Shōmyō
作品記号 061
作品年 1984
ジャンル 舞台
演奏時間 60分
楽器 Actor, Shomyo, Buddhist-Perc
楽譜・譜面
春秋社(株)
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曲目解説

昭和五九年(1984)に〈蛙〉と出会ってから十五年が過ぎ去った。すでに十年前に草野心平先生は鬼藉に入られ、このお正月に福島のいわき市に建つ「草野心平記念文学館」詣でをしたが、感無量であった。

1960年代中葉、それまで西洋音楽の忠実な使徒であった私は、法隆寺の夢殿で初めて「聲明」を聴き、〈音楽〉に対する考えが根底から揺すぶられた。そしてその後二月堂の「お水取り」に行ったりしたが、昭和四一年(1966)、今度は寺院ではなく、国立劇場の舞台で聲明の法会を音楽として鑑賞するという初めての出来事を体験した。この時、草野先生も聲明を聴いて「蛙の声明」と題する詩を書かれ、それを基に、僧侶と仏教の打物のための音楽作品が生まれたのである。

このように、私にとって「蛙の声明」はエポックメーキング的な作品であるが、初演を演出した木戸敏郎氏は、『新しい表現を求めた「蛙の声明」は、聲明が初めて舞台に登場した時の毀誉褒貶の嵐の再現となった』と語っておられた。なにしろ、 <マリリンモンロウによく似た蛙…>などという〈現代詩〉を、史上初めて僧侶が唱えるという画期的な内容である。十五年後の今では考えられないような伝統主義者の強い反発があったのであろう。しかし、「蛙の声明」を上演して、思わぬことに驚ろかされた。それは、心平先生の愛すべき蛙たちの詩が見事に僧侶の唱える調子に合うのである。日本語でやる西洋的オペラなどより数段、言葉が良く分かる。「草野心平記念文学館」の館長もなさっている粟津則雄氏は「蛙の声明」の初演を聴いて、『西洋音楽的形式のなかではどこか居心地が悪そうだった草野氏のことばが、声明のなかでは、実に自然にしなやかに動いていることがよくわかった。』と感想を書かれていた。

私にはいくつかの「蛙の声明」がある。国立劇場での「蛙の声明」初演の翌年「続・蛙の声明」を発表したが、昭和六一年(1986)には、「蛙の声明/ベルリン版」を編成し、「ベルリンの壁」に隣接したセント・セバスチャン教会で公演した。これは、仏教の僧侶が初めてカソリックの教会に登場したと話題になり、教会の大伽藍を埋めた千人になんなんとする聴衆は、真言宗(伽声研)の僧侶の唱える「蛙の声明」に実に熱心に聴き入っていたのを今でも鮮明に思い出す。このヴァージョンも翌年の昭和六二年(1987)に国立劇場で再演されているが、今回の再演は、初演された時の「蛙の声明」で、いわば十五年振りのオリジナル版の上演である。

この初演版は、特に一貫した筋のあるものではなく、草野心平先生の「蛙の声明」の詩を中心として、蛙にまつわるほかの幾つかの詩を集めている。そして全体は、経立、講式、蛙とび、表白、入調、夜の天の六つの章に構成した。これは、聲明の四箇法要、二箇法要を下敷きにしているが、〈蛙とび〉は、仏罰をうけた男を行者が蛙の姿に変え、それを大勢の僧侶が再び人間の姿に戻すという故事を表した吉野金峯山寺の〈蛙とびの行事〉がモデルになっている。そして音楽的には低音から高音へ、混沌から調和へ、醜から美への移行があり、ここには〈蛙〉を通した宗教と芸術の統合がある。

初上演:15.-16.11.1984/「聲明ー婀尾羅吽欠」第19回聲明公演/国立劇場小劇場/聲明の声:天台宗僧侶(15.)、真言宗僧侶(16.)/蛙( 俳優-着ぐるみ ):有本誠/仏教の打物(打楽器):山口恭範、菅原淳、佐藤迪、須藤八汐、小牧明

ヨーロッパ初演:4.3.1986/"INVENTIONEN FESTIVAL'86"/セント・セバスチアン教会ベルリン/聲明の声:真言宗僧侶/仏教の打物(打楽器):佐野恭一、石井敬、ベルリン・フィル、ドイツオペラ打楽器奏者/指揮:石井眞木

石井眞木、1999年。源:「初演から15年」/1999年、国立劇場におけるオリジナル版の再上演の際のプログラムより