クロスカルチャー・オペラ 「智暁(ちぎょう)」 (1999)

基本
作品名(英) Chigyō – Tojirareta Fune (the sealed boat)
作品名(独) Chigyō – Tojirareta Fune (Das Schiff ohne Augen)
作品記号 113
作品年 1999
ジャンル 舞台
演奏時間 100分
楽器  
楽譜・譜面
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曲目解説

「智暁」ー閉じられた舟ーは、石井眞木が1980年に発表した音響詩「熊野補陀落」[★1]を源拠として、「オペラ」として構想された。

構想から18年の歳月を経て1999年10月、ユトレヒト、ベルリンで初上演[★2]されたが、この作品を2000年秋の日生劇場での日本初演にあたり、石井眞木はヨーロッパツアーの経験を生かし音楽の一部を改訂し、また演出、舞台美術、照明なども、日生劇場の空間を勘案したプランに改めた。またこの日本公演後、 「智暁」 に改題、ー閉じられた舟ーを副題とした。

「智暁」の内容は、中世に信仰的実践として行われた「補陀落渡海」[★3]と、延暦六年(787)頃一応の原型がまとめられたといわれる仏教説話集「日本霊異記」[★4]の一説話を翻案した物語による。 ここでは、一人の僧侶の「中有」(バルドー/死んで次の生―成仏を受けるまでの中間の時空)と「地獄」の体験を通し、仏教的な生死観、あるいは仏とは何か、が浮き彫りにされるが、この僧侶の姿は、現代にも通ずる人間のかなしい性(さが)―愚かさ、弱さの表現でもある。作曲者はここに、20世紀の人間絶対主義(近代主義)への懐疑をも重ねている。

主役の僧─智暁(テノール)は多義的な様式で歌う。主にドイツ語の現代的な歌唱によるが、内容、表情に即して「観音経」[★5]を唱え、調性的な旋律も歌う。また閻羅大王(バス・バリトン)は日本語で朗誦し歌うが、朗誦は歌うように、歌唱は朗誦のように、すなわち、朗誦と歌唱の境界をあいまいにすることが要求されている。西欧的なレチタティーヴォ、シュプレッヒシュティンメとは異なる、東洋的な「語りもの」へ回帰するかの如く。

衆生、すなわち民衆―人々として登場する大勢の僧侶は、苦悩する高僧―智暁を救済する仏の御心も代弁し「観音経」を唱える。この読経、念誦は、伝統的な方法に準拠してはいるが、あるときはそこから逸脱をみせる。

第3場で、天上から下りてきた蜘蛛の糸―仏の慈悲を前に、智暁が歌う場面は、芥川龍之介の物語「蜘蛛の糸」[★6]を敷延した場面である。アンサンブルの楽器編成は、バス・フルート(フルート)、バス・クラリネット、ピアノ、それに数十種類からなる打楽器群にしぼられているが、舞台にも登場する横笛(龍笛、能管)、さらに特殊鉄製打楽器が加わり、豊かな音響空間を創出する。そしてこれらの響きを背景に「大駱駝艦」[★7]の特異な舞踏が、幻覚シーン、あるいは地獄の場面でビジュアルなイメージを現出させる。


[★1] 音響詩「熊野補陀落」 :義太夫と横笛、マリンバ、打楽器のための作品(作品42/NHK・FM放送/昭和55年度芸術祭優秀賞受賞)。

[★2] プレミエーレ :オペラ「閉じられた舟」は、1999年10月2日、3日、オランダ/ユトレヒトのシャウブルグ劇場で世界初上演された後、 10月6日、7日、9日にはベルリンのヘベル劇場でドイツ初上演が行われた。

[★3] 「補陀落渡海」 (熊野補陀落):僧侶が極楽浄土(Potalaka)を目指し、「閉じられた舟」で舟出して死ねば、その霊魂は極楽往生がかない、民衆を救済できるという厚い信仰の実践。一種の自殺行為ともいえるこの「補陀落渡海」を遂げた捨身行者もいたが、死への恐怖におそわれて「閉じられた舟」から逃げ帰った者もあると いう。「熊野年代記」には、「補陀落渡海」は、貞観十年(868)にはじまり、平安時代に3回、室町時代に10回、 さらに江戸時代にも6回あった、と記録されている。

[★4] 「日本霊異記」 :日本最初の仏教説話集。薬師寺の僧、景戒によりまとめられた。三巻百十六話より成っている。「閉じられた舟」では、『一人の僧侶が閻羅王宮-地獄を体験し娑婆に戻される』という説話(中巻第七話)を基に翻案した。

[★5] 「観音経」 :「般若心経」と並んで、最も親しまれている代表的な経典。「般若心経」が深遠な仏教の哲理を 展開した経典であるのに対して、「観音経」はそれと対照的に、衆生(民衆)の諸難を取り払い、願いを即物 的にかなえる、という現世利益を説いた経典。このオペラでは漢文で唱えられる。

[★6] 「蜘蛛の糸」 :芥川龍之介の児童文学の代表作。極楽の釈迦が地獄で蠢く一人の罪人に、この男がかつて一度 だけ小さな蜘蛛を助けたことを思い出し、この男を地獄から救済しようと慈悲の蜘蛛の糸を男の前に下ろす、 という物語。ロシアの民話にも、これとよく似た話がある。即ち、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」 の第7編の第3にある「一本の葱」である。

[★7] 「大駱駝艦」 :麿赤児を主宰者とする世界的に活躍する舞踏集団。その幽界を思わせる独特な肉体の動き、表 現には定評がある。

初上演:2-3.10.1999/Stadschouwurg Utrecht,Holland/音楽監督、指揮:石井眞木/演出:ヘンク・シュート/出演:ナイジェル・ロブソン、ジャック・ボガー、フランシス・バルベ、ヴァレリー・ヴァレンティーネ、赤尾三千子/聲明:真言宗、天台宗僧侶(14名)/演奏:Het Trio, Slagwerkgroep Den Haag/他

ドイツ初演:6-8.10.1999/Hebbel-Theater Berlin, Germany/音楽監督、指揮:石井眞木/演出:ヘンク・シュート/出演:ナイジェル・ロブソン、ジャック・ボガー、フランシス・バルベ、ヴァレリー・ヴァレンティーネ、赤尾三千子/聲明:真言宗、天台宗僧侶(14名)/演奏:Het Trio, Slagwerkgroep Den Haag/他

日本初演:13-14.11.2000/NISSAY OPERA 2000 日本人作曲家オペラシリーズⅠ/日生劇場/芸術監督、指揮:石井眞木/演出:ヘンク・シュート/出演:ナイジェル・ロブソン、池田直樹、フランシス・バルベ、赤尾三千子/聲明:真言宗、天台宗僧侶(10名)/演奏:Het Trio,Slagwerkgroep Den Haag、山口恭範/振付:加藤みや子/舞踏:大駱駝艦舞台美術/升平香織/照明:成瀬一裕/衣装:合田瀧秀/音響:小島幸雄/舞台監督:黒崎守/プロデューサー:井上眞次

石井眞木